風見梟またはOWLの日常あんどサイトの更新説明な場所。
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日曜日。さてどうしよう。
おじさんのお義母さんのお見舞いに行くか、
妹の誕生日プレゼントを見に行くか、
家にこもって勉強をするか
結構、色々やばいので、勉強はしたい
妹の誕生日プレゼントは両立できる
しかしお見舞いに行くと場所がちょっと遠いので、一日潰れる
ところがって逆接過ぎやな、ほんまに
会うなら多分、これが最後のチャンス
今の時点で既に食べるのが辛いらしい
でもそれって一応普通なんだよね
あんまりそのお義母さんと仲良かった訳でもないんです
そんなに会ってした訳でもないし
でもばあちゃんの葬式の時にお世話になって、
それ以来心から消えないっていうのか
何となく、行っておかないと自分が後悔するかも、とか
でも行ったら、逆に自分の病状を余計に悟らせるだけな気もします
個人的には、病気で多少たりとも苦しんで死ぬのならば、
下手にスパゲッティにして生きるより、ちゃんと有る程度意識を持ったまま生きる方が
幸せだと思っています、勿論例外あるでしょうけど
最後まで、生きてて良かったって思いながら死んでほしいと思うのかな?
イマイチ言葉にならないんだけれど、
人生の最期のイベントである病気のラストが、
ただ生体として生かされてるだけなのは、
やっぱり寂しいと思うんです
どちらがいいのだろう
私の顔見るだけで嬉しいって思ってもらえる間柄だろうか?
手を握ることで、少しでもあの人の世界に力を注げるんだろうか?
不安よりも安らぎを与えることができるんだろうか?
眠くて頭が回ってないだけかもしれないので
とりあえず後2日じっくり考えてみます
有る程度そういうことで頭いっぱいにしてるときに、
高瀬舟はちょい辛かった(笑
弟殺しで島流しにされる罪人の話を聞く運び人?みたいなやつ
時代は江戸の、誰もが一度は読まされたでしょうっていう
何だか自分で自分の喉をかっきろうとした弟があまりにもあまりにもでさ
失敗して喉からひゅうひゅう空気が漏れて、苦しそうに、
とどめをさすことを躊躇う兄に恨めしそうに恨めしそうに
ようやく了承したときのほっとした顔が目に浮かぶ
問題解くどころじゃなくなりました、てへ
ばあちゃんは似た状態でホントに死ぬ前の1週間までは、
支えこそ要ったけど、自分で起きてきてご飯食べはったんです
それが普通かと思いそうになってましたが
そんなことはないみたいです
てか、春にはここまで着ちゃったら普通夏までやね、と
主治医含め皆が覚悟決めてたけど、12月まで生きちゃいました。
こんなこともあるんやね、って医者に言われるくらいには珍しい。
これ、医者に、ってのがミソね
そう言う現場を知らない人は結構望みでモノ言っちゃう部分があるから、
名前と顔と一致する人複数大丈夫やった、ってなったら、
あの人もこの人も大丈夫やった、大丈夫やろうって、楽観的に見たがるもの
気休めにはなるけれど、よっかかれない言だったりする
たまに、ばあちゃんがそこまで生きたのは
最後に秋のおいしいものたくさん食べたかったからじゃないかな
とか思ってしまう馬鹿な自分が居ます
誇張でもなんでもなく、あの年頃の人にしては
精神がとってもフリーダムだったから
自分の楽しいことを、ちゃんと楽しんで出来るひと
あまり気負いすぎず、ナチュラルに生きるというのでしょうか
まあそれで若干色々周りは大変な訳やねんけど
特に食に関しては、ホントうるさかった
冗談でもなんでもなく、それで一度妹が泣かされたよ
おにぎり一つであんな修羅場が展開されるなんて(笑
ただ何か変な貧乏くじ引かされんねんなー
旦那さんに浮気されたりな
正直、今その人がどうしているのかは全く知りません
小さい頃はおうちに居てたけど、いつの間にか居なくなってて
それを不思議とも思わなかった自分がいて、よくわからん
今名前呼ばれて手とか握られても、ぞっとするだけやろうな
でもってそんなこと今更聞けないーっていう、ね
何となく、感性のフリーダムさとかがかな
私が母より誰よりばあちゃんに似ているのです
もしかして年取ったらあんな子ども帰りするのかーとか
こんなダマされスカされするのかーとか
普通しなくていいはずの苦労背負うのかーとか
まあ不安は一杯有るけど、精一杯生きるだけさ
一応、一度しか出会えないはずの命なはずだから
どうせなら楽しんで生きた方がお得やんな
お得って、何か買い叩いてるみたいでちょっち響きがやーですが
詰め放題なら詰められるだけ詰めたほうが、あれ?
食べ放題ならとりあえず全部食べてみてすきなのをごっそり行ったほうが、あれ?
やっぱり何か表現が安っぽいな
ビッグウェーヴがやってきたときに、
それに乗ろうと立ち向かってみる人と、怖いって逃げる人に二部できるとすれば、
私は前者でありたい
常に、とは言わずとも
おじさんのお義母さんのお見舞いに行くか、
妹の誕生日プレゼントを見に行くか、
家にこもって勉強をするか
結構、色々やばいので、勉強はしたい
妹の誕生日プレゼントは両立できる
しかしお見舞いに行くと場所がちょっと遠いので、一日潰れる
ところがって逆接過ぎやな、ほんまに
会うなら多分、これが最後のチャンス
今の時点で既に食べるのが辛いらしい
でもそれって一応普通なんだよね
あんまりそのお義母さんと仲良かった訳でもないんです
そんなに会ってした訳でもないし
でもばあちゃんの葬式の時にお世話になって、
それ以来心から消えないっていうのか
何となく、行っておかないと自分が後悔するかも、とか
でも行ったら、逆に自分の病状を余計に悟らせるだけな気もします
個人的には、病気で多少たりとも苦しんで死ぬのならば、
下手にスパゲッティにして生きるより、ちゃんと有る程度意識を持ったまま生きる方が
幸せだと思っています、勿論例外あるでしょうけど
最後まで、生きてて良かったって思いながら死んでほしいと思うのかな?
イマイチ言葉にならないんだけれど、
人生の最期のイベントである病気のラストが、
ただ生体として生かされてるだけなのは、
やっぱり寂しいと思うんです
どちらがいいのだろう
私の顔見るだけで嬉しいって思ってもらえる間柄だろうか?
手を握ることで、少しでもあの人の世界に力を注げるんだろうか?
不安よりも安らぎを与えることができるんだろうか?
眠くて頭が回ってないだけかもしれないので
とりあえず後2日じっくり考えてみます
有る程度そういうことで頭いっぱいにしてるときに、
高瀬舟はちょい辛かった(笑
弟殺しで島流しにされる罪人の話を聞く運び人?みたいなやつ
時代は江戸の、誰もが一度は読まされたでしょうっていう
何だか自分で自分の喉をかっきろうとした弟があまりにもあまりにもでさ
失敗して喉からひゅうひゅう空気が漏れて、苦しそうに、
とどめをさすことを躊躇う兄に恨めしそうに恨めしそうに
ようやく了承したときのほっとした顔が目に浮かぶ
問題解くどころじゃなくなりました、てへ
ばあちゃんは似た状態でホントに死ぬ前の1週間までは、
支えこそ要ったけど、自分で起きてきてご飯食べはったんです
それが普通かと思いそうになってましたが
そんなことはないみたいです
てか、春にはここまで着ちゃったら普通夏までやね、と
主治医含め皆が覚悟決めてたけど、12月まで生きちゃいました。
こんなこともあるんやね、って医者に言われるくらいには珍しい。
これ、医者に、ってのがミソね
そう言う現場を知らない人は結構望みでモノ言っちゃう部分があるから、
名前と顔と一致する人複数大丈夫やった、ってなったら、
あの人もこの人も大丈夫やった、大丈夫やろうって、楽観的に見たがるもの
気休めにはなるけれど、よっかかれない言だったりする
たまに、ばあちゃんがそこまで生きたのは
最後に秋のおいしいものたくさん食べたかったからじゃないかな
とか思ってしまう馬鹿な自分が居ます
誇張でもなんでもなく、あの年頃の人にしては
精神がとってもフリーダムだったから
自分の楽しいことを、ちゃんと楽しんで出来るひと
あまり気負いすぎず、ナチュラルに生きるというのでしょうか
まあそれで若干色々周りは大変な訳やねんけど
特に食に関しては、ホントうるさかった
冗談でもなんでもなく、それで一度妹が泣かされたよ
おにぎり一つであんな修羅場が展開されるなんて(笑
ただ何か変な貧乏くじ引かされんねんなー
旦那さんに浮気されたりな
正直、今その人がどうしているのかは全く知りません
小さい頃はおうちに居てたけど、いつの間にか居なくなってて
それを不思議とも思わなかった自分がいて、よくわからん
今名前呼ばれて手とか握られても、ぞっとするだけやろうな
でもってそんなこと今更聞けないーっていう、ね
何となく、感性のフリーダムさとかがかな
私が母より誰よりばあちゃんに似ているのです
もしかして年取ったらあんな子ども帰りするのかーとか
こんなダマされスカされするのかーとか
普通しなくていいはずの苦労背負うのかーとか
まあ不安は一杯有るけど、精一杯生きるだけさ
一応、一度しか出会えないはずの命なはずだから
どうせなら楽しんで生きた方がお得やんな
お得って、何か買い叩いてるみたいでちょっち響きがやーですが
詰め放題なら詰められるだけ詰めたほうが、あれ?
食べ放題ならとりあえず全部食べてみてすきなのをごっそり行ったほうが、あれ?
やっぱり何か表現が安っぽいな
ビッグウェーヴがやってきたときに、
それに乗ろうと立ち向かってみる人と、怖いって逃げる人に二部できるとすれば、
私は前者でありたい
常に、とは言わずとも
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